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    歴史

    nakamurasatoru
    1: ちゅら猫φ ★ 2016/04/03(日) 23:05:25.24 ID:???
    ★日本民族再興のチャンス、沖縄の“歴史戦”
    仲村 覚  2016/4/01 

    沖縄出身の筆者が沖縄の危機に気が付き、活動を始めて8年目になる。活動を始めた頃、沖縄と本土の情報空間は
    完全に断絶されていて、東京の保守の活動家の間では「沖縄には左翼しかいない。」と思われていた。今では嘘のような
    話だが本当の話である。東京の保守と沖縄の保守との間ではほとんど交流がない状態だったのである。しかし、現在は
    沖縄でも多くの若者が保守活動、愛国活動に立ち上がり、インターネットでも情報を大量に発信し、また、多くの保守
    活動家も実際に沖縄に足を運び、かなり正確に沖縄の実態が全国に伝わるようになってきた。これは大きな前進である。
    おそらく、全国47都道府県の中で、ここ5年、10年の間で最も保守活動が活発になってきたのは沖縄県ではないだろうか。
    沖縄のこの期間は、戦後長い間、ほぼ完璧に成功していた“沖縄プロパガンダ”を打ち破った歴史であり大きな成果である。
    この沖縄プロパガンダを一言で言うと、「沖縄県民は反日、反米、親中」であるという固定観念である。
    もし、沖縄県民が地元マスコミの圧力に逆らって、東京に届くような声をあげず、このプロパガンダが放置されていたのなら、
    間違いなく沖縄と本土との関係は、現在の日本と韓国のようになっていたであろう。つまり、「嫌韓論」ならぬ、「嫌琉論」や
    「嫌沖論」が本土の保守層で流行り、「沖縄は切り捨てるしか無い!」という諦めと蔑視の声が広がっていたはずである。
    実際に沖縄では8年前には全くなかった「琉球独立学会」が発足し、「沖縄の自己決定権」や「米軍基地の押し付けは
    沖縄差別」という声があがり、沖縄県知事には反日勢力の操り人形のような翁長雄志氏が就任してしまった。その結果、
    沖縄県庁が反政府闘争の基地となってしまったのだ。行政レベルでは、沖縄の反日の姿勢は韓国と寸分違わない。
    それでも、「嫌琉論」や「嫌沖論」の声があがらなかったのは、奇跡としか言いようがない。それは、全国に琉球独立や
    沖縄の反日の声は“作られた世論”であり、本当の沖縄の声でないことが伝わったからである。つまり、沖縄分断のために
    沖縄プロパガンダを仕掛けた反日勢力の試みは見事に失敗したのである。

    ■民族統一の歴史を琉球侵略の歴史にすりかえる沖縄の歴史戦
    しかし、これで安心してはならない。前述したプロパガンダは、「現在の嘘」でありいわゆる「情報戦」「心理戦」による
    プロパガンダである。この洗脳は解けつつある。しかし、沖縄プロパガンダの中心は何と言っても「歴史戦」であり、
    その最大のカードは「琉球王国450年(1429年~1879年)の歴史」という嘘である。
    まず、沖縄県外の読者の皆様に伺いたい。沖縄の人々は日本人ですか? 間違いなく、99%以上の皆様は
    「沖縄県民は当然日本人だ。」と答えてくださるであろう。では、少し質問を変えて、「琉球王国の人々は日本人
    だったでしょうか?」と聞くとどのように答えるであろうか? また、「琉球文化は日本文化ですか?」と聞くとどうであろうか? 
    本来なら自信を持って「沖縄の人々は古来より日本民族の一員である」「だから、琉球王国の人々は当然、日本人であった」
    「だから琉球文化も日本文化の一部である」と答えなければならない。しかし、そのように答えることの出来る人は
    ほとんどいないのではないないだろうか? >>2へ続く

    http://vpoint.jp/column/62795.html

    freya01-cbc65

    2: かかと落とし(東京都)@\(^o^)/ 2016/03/23(水) 20:59:29.51 ID:8WaIDmCj0.net
    これにはヤマトタケルも苦笑い

    4: ボ ラギノール(家)@\(^o^)/ 2016/03/23(水) 20:59:58.55 ID:+2n0qkTL0.net
    聖闘士神話~ソルジャードリーム~

    6: ファイヤーバードスプラッシュ(庭)@\(^o^)/ 2016/03/23(水) 21:01:52.77 ID:3/zRgTVK0.net
    聖闘士星矢かな

    hei

    1: アキレス腱固め(禿)@\(^o^)/ 2016/02/29(月) 17:57:28.26 ID:7OqGXaC40.net
    天皇陛下がインフルエンザに=宮内庁

    宮内庁は29日、天皇陛下がインフルエンザにかかられたと発表した。
    37度台後半の熱などの症状があるため、同日の公務を取りやめ、
    皇居・御所で静養しているという。
     
    同庁によると、陛下は27日午後から発熱を伴うせきなどの風邪の症状があり、
    28日夜、御所での検査でA型インフルエンザと診断された。
    29日に予定されていた離任するタンザニア大使との面会などの公務は、日程を再調整する。
    3月1日以降の公務については、今後の症状を見て決める。(2016/02/29-12:26)

    時事ドットコム
    http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2016022900220

    c86ad4c84d0a0d9dcb05ea12ab744a5a_s

    1: エクスプロイダー(東京都)@\(^o^)/ 2016/02/28(日) 14:18:29.24 ID:zLkCpoTr0.net BE:898967234-PLT(13001) ポイント特典
    大阪ロマン紀行

    下級武士の心意気、二百石を足蹴に
    岸和田市岸城町 「岸和田城」

    (中略)

     さて記念すべき二百回なので、二百という数字にこだわって昔話をさがしました。岸和田市に伝わるお話です。

     現在の岸和田市春木旭町のあたりに白井兵助(ひょうすけ)という、身分の低い武士がいた。
    ある日、岸和田の殿様が家来を大勢引き連れて船遊びをした。お酒も入り、いい気分で殿様が船べりに立つと、
    なんの拍子か船がぐらりとゆれて殿は海へドブンと落ちた。あたふたする家来の見る間に、殿は海中にズブズブ沈んでゆく。

     すると情けない家来の中から、一人海に飛び込み、殿をすぐさま助け出し、船へと上げた男がいた。それが前述の白井兵助であった。

     後日、殿様は兵助に「この度はあっぱれな働きであった。二百石をつかわそう」と言った。他の家来は二百石とはたいそうな褒美だと思ったが、
    当の兵助は目をむいて「殿の命が二百石とは、あまりに安うござる」と言ってのけた。家老たちはあわてて、これ無礼を申すでない、とたしなめたが、
    兵助は「それではごめん」と言い残し、さっさとその場を去って、武士の身分もかなぐりすてて農民となり、後世は畑など耕し、悠々自適に暮らしたという。

     二百石と二百回。似ているのは数字だけだが、兵助を見習って人目や一般的基準にとらわれることなく、これからも自意識に忠実に、
    臆することなく生きていきたいと思う。

    http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/160227/20160227048.html

    4643008i

    1: 河津掛け(新疆ウイグル自治区)@\(^o^)/ 2016/02/26(金) 19:35:16.81 ID:JhU5n+KL0.net BE:532994879-PLT(13559) ポイント特典
    聖徳太子図、文化財に指定 滋賀・守山市、少林寺所蔵

     滋賀県守山市矢島町の少林寺(甲斐道清住職)に伝わる室町時代の絵図
    「絹本著色聖徳太子勝鬘経講讃図(けんぽんちゃくしょくしょうとくたいししょうまんぎょうこうさんず)」がこのほど、
    市指定文化財となった。2011年度から県教委などが進める所蔵品調査で貴重な文化財が数十点確認されており、
    市教委は「保存に向けた文化財指定の第1弾」とし、3月20日に同寺で初の一般公開を行う。
     絵図は縦85・4センチ、横40・6センチで、聖徳太子が小野妹子や中大兄皇子らに向かい、
    仏教の経典の一つ「勝鬘経」の教えを講義する姿がしっかりとした筆で描かれている。
    1961年から県立琵琶湖文化館(休館中)に寄託されている。市教委によると、同じ場面が描かれた絵は平安-鎌倉期に多数あるが、
    ほとんどは聖徳太子の生涯を描いた絵巻物の一場面で、単独の作品は珍しいという。
    奈良・法隆寺などに伝わる絵図3点はいずれも国重要文化財に指定されている。

    引用元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160226-00000017-kyt-l25

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